望めば望むほど、離れて行く・・・




思想・信条、先入観、既成概念、信仰・・・・それらに固執すればするほど、心はそれに囚われてしまい、自己に内在する真我(仏性・神性)と出会うことから益々遠ざかってしまう、という事を教わった。

熱心すぎる信仰心は、真の覚醒への妨げになるようだ。

お釈迦様は、人間が涅槃(悟り)へ到る道筋を示されただけで、信仰しなさいとも神仏を拝みなさいとも、教えてはいない・・・。

そこで注意して坐るのだが、今度は「それに拘るまい、捨て去ろう・・・」という考えに囚われてしまう自分がいる。


只少しだけマシになったと感じることがある。坐っていて、変性意識状態で観じたもの総てを「幻想、魔境」として処理できるようになってきたこと。

尊い神仏の姿が観えようが、守護天使(笑)の声が聞こえようが、一切合切をぶった切って殺ぎ落とすのだ。


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この記事へのコメント

湖南
2010年06月20日 13:47
こんにちは

こちらのブログは何度か拝見したことがありますが、神秘行者さんのだとは気がつきませんでした。

『熱心すぎる信仰心は、真の覚醒への妨げになるようだ』とのことですが、妨げにはならないのではないでしょうか。
その熱意の慣性がやがて正師との出会いと正解へと押し上げていくように思います。

                      ではでは
神秘行者
2010年06月20日 17:46
>湖南様
当ブログへの初コメントを、尊敬する湖南様から頂くとは、大変光栄に感じます
ありがとうございます。
今回の日記は、最近読んだ「悟りに至る十牛図瞑想法」(小山一夫 著)の影響をかなり受けております
>その熱意の慣性がやがて正師との出会いと正解へと押し上げていく
なるほど・・・、仰る意味、理解できます!
浅学非才の身故、暫し教えて頂きたいのですが、例えば「見性」を目指す者は、只管見性したいという一心を持続させるべきなのでしょうか?「見性したい」という思いに固執・囚われてしまって、却って見性から遠ざかってしまうのではないかと思うのですが・・。

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